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中国全土を荒廃たらしめた 「文革」の悲劇から国土を回復させるため、 そして、共産党自らの支配権を維持するために ケ小平が放った「改革開放」への政策大転換は、 中国自ら米国のルールに乗っかるという「奇策」だった。 その「奇策」によって イデオロギーを捨てる賭けに出たケ小平は、 中国を「開発独裁国家」に生まれ変わらせたと同時に、 米国の対中政策の大転換をももたらした。 自らのゲームのルールに乗っかるということは、 中国が米国にとって 「Controllable」な存在になることを意味していた。 米国は、中国をソ連のように敵対することによって 「崩壊させる」のではなく、 同じゲームのルールに取り込むことによって 「制御する」ことを選択した。 「資本家」として参入した米国は、 発展途上の中国から莫大な利益を手にした。 一方の中国当局も、経済発展によって 自らの支配基盤を再強化することに成功した。 ケ小平の「奇策」は 米中に「Win-Win」の関係をもたらしたのだ。 しかし、米国は中国に対して 警戒の手を完全に緩めたわけではなかった。 今後発展して大きな力を手に入れたときに、 「中華思想」の野心に目覚めた中国が、 「Uncontrollable」な存在になる日がきっと訪れる。 その「来る日」に対する「備え」を忘れてはいなかった。 そして、その「備え」の一つが 実は「オリンピックの『北京開催』」だったのです。 (本日の記事は今までになく「仮説」です。。。) ご訪問頂きありがとうございます。 当ブログは下記ランキングサイトに参加しています。 あなたの清き一票をよろしくお願いします!! ![]() ![]() 【お知らせ】 「ニュースウォッチ」はメルマガに移行させて頂きました。 こちらも是非ご購読よろしくお願いいたします。 よろしければ下のバナーをクリック頂き登録画面にお進み下さい。 ★また、当ブログは「解析」ブログであり、 思想信条を世に問う「評論」ブログではありません。 宜しければこちらをご一読頂き、 趣旨をご理解頂いた上でご利用下さいますようお願い致します★ ↑過去記事をご覧頂ける方は、こちらをクリックして下さい。 <一度失敗していた中国の五輪招致> 今夏の五輪が北京で行われることに関しては、 様々な方面で物議を醸し出しておりますが、 開催地が北京に決まった経緯については 意外と忘れている方が多いのではないでしょうか。 というわけで、少し振り返ってみましょう。 まず、そもそも五輪の開催地とは 「何時」決定されるのでしょうか。 【参考】オリンピックにまつわる雑学(雑学万歳) http://www.uraken.net/zatsugaku/zatsugaku_07.html 各国から立候補の都市が集まったら 開催年の7年前に、IOCの委員達が投票し、立候補した各国の都市の中からオリンピック開催地を決定します。が、これに先駆け投票2ヶ月前までに、IOCの立候補と評価委員会が現地を訪問し報告書をまとめます。 実は、五輪の開催地が決定されるのは、 「開催年の7年前」です。 ですから、今夏2008年の北京五輪開催が決定されたのは 7年前の「2001年」ということになります。 そして、 これも意外に忘れられている事実かもしれませんが、 実は中国は一度開催地に立候補して落選しているのです。 それは「2000年開催」のシドニー五輪。 ということは、この開催地が決定されたのは「1993年」。 その落選理由として、 「天安門事件」における武力弾圧が挙げられた。 【参考】基礎からわかる「北京五輪と政治」(読売) http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2008/feature/20080411/ きっかけは89年にアジア大会会場を視察した当時の最高指導者、トウ小平がもらした一言だったと言われる。 この事件は米国をはじめとした西側諸国に衝撃を与えた。 「Control」可能になったはずの中国が 「Uncontrollable」な行動をしでかしたからだ。 【参考】六四天安門事件(wiki) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E5%AE%89%E9%96%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6 多くの国が中国共産党政府による武力弾圧に対して抗議の意を示すため(と団員の安全を確保するため)に在中華人民共和国の外交団の撤退を始めた他、ヨーロッパ諸国は対中兵器輸出を禁止するなど、多くの主要国が最恵国待遇の停止や武器輸出の停止などの条件付、もしくは無制限の交易の停止を発表した。また、世界銀行による中華人民共和国への融資の停止も行われた。 従って、その「制裁」の意味を込めて、 招致疑惑を発生させてまでも、 悲願であった五輪開催に「No」を突きつけたのだ。 【参考】中国が重大な関心、<五輪疑惑>シドニーのスキャンダル(日中情報ネットニュース) http://www.ask.ne.jp/~jcin/newsjp/9901/0128.txt 日本の新聞報道によると、24日付の中国主要各紙は、シドニー五輪の招致活動で豪オリンピック委員会のコーツ会長が1993年9月の開催都市決定投票の前日、アフリカのIOC委員2人に、それぞれ3万5000ドル(約400万円)を渡していたとする豪州などの報道を詳しく伝えた。北京市も2000年五輪の開催地に立候補、同投票でシドニーにわずか2票差で敗れている。アフリカのIOC委員2人への資金提供がなければ、開催地決定の結果が逆転していた可能性もあり、中国は重大な関心を持っている模様だ。 そして、この「制裁」措置を講じることで、 再度中国を自分たちの「Control下」に置こうとした。 しかし、 残念ながらその試みはうまくいかなかったのです。 読書はあなたの人生の可能性を飛躍的に広げてくれます。 <ついに目覚めた中国の「野心」> 「五輪開催地拒否」の制裁を受けた中国は、 思惑通り米国の「Control下」に入るかと思いきや、 その実はまったくの逆効果だった。 ケ小平の後継者「江沢民」は、 大国意識をむき出しにした 対外強硬路線を推進したのだ。 【参考】江沢民(wiki) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%B2%A2%E6%B0%91 総書記就任後はケ小平の改革開放政策を概ね継承し経済発展を推進した。その一方で、江の任期あたりから中国は大国意識を剥き出しにした対外強硬路線が目立つようになり、1996年には台湾総統選挙に圧力をかけるため台湾海峡にミサイルを撃ち込んで米軍の緊急展開を招くなど情勢を緊迫させた。他にも同年にCTBT採択直前に駆け込みで核実験を強行し、世界中から非難された。 90年以降の軍事費の膨張ぶりは、 周辺諸国に警戒させるには十分過ぎるものだった。 【参考】中国の国防予算20年連続で2ケタ増(朝日) http://www.asahi.com/international/update/0304/TKY200803040193.html さらに、経済発展で資源の大量消費国になった中国は、 90年代後半から、アフリカに猛烈な資源外交を展開した。 【参考】スーダン(wiki) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%B3 一方、未開発の石油資源やレアメタルの埋蔵量は大きく世界の注目を浴びており、1990年代後半から石油メジャーの間隙を突く形で、中国政府のバックアップを受けた中国系企業が多数進出。 その資源獲得競争における「なりふり構わぬぶり」は、 資源枯渇が叫ばれている時代において、 その「脅威」を認識させるには十分過ぎるものだった。 【参考】アフリカでの中国の存在に対するEUの懸念(JANJAN) http://www.news.janjan.jp/world/0803/0803041984/1.php 【参考】アフリカにおける中国の重要性増大に期待と懸念(JANJAN) http://www.news.janjan.jp/world/0707/0707300105/1.php 中国のアフリカへの関与の中で特に議論を呼んでいるのは、スーダンの国営石油コンソーシアムに多額出資している中国国営石油公社の子会社ペトロチャイナである。中国は国内の燃料需要を満たすため、2006年にはスーダンの石油輸出の半分以上を購入した。批評家は、スーダン政府はこの収入で武器を購入してダルフールでの軍事作戦を続行していると非難している。 ついに中国が目覚めた。 「中華思想」の野心に燃える彼の国が、 「Uncontrollable」な存在になる日がやってきたのだ。 しかし、その「野心」に制裁を加えようとして放った 五輪開催拒否の「ムチ」は効果を発揮しなかった。 それは反って敵の強硬姿勢を助長するだけだった。 さて、どうしたものか。 もう中国を「制御」することは不可能なのか。 いや、決してそんなことはなかった。 米国陣営も手をこまねいているわけではなかった。 彼らはケ小平に負けず劣らずの とんでもない「奇策」を出してきたのだ。 その「奇策」とは一体何だったのでしょうか。 <中国制御のために米国が放った「奇策」> 実は、それが 「オリンピックの北京開催」 だったのです。 1993年に一度落選した中国は、 8年後の2001年、再度立候補してきた。 しかし、この8年間で 中国の「人権状況」が改善されたわけではなかった。 そして、前章で見たように対外的脅威は 8年前よりむしろ増していた。 だから、今回も落選するかと思われた。 しかし、 フタをあけて見れば2位以下に大差をつけての圧勝。 【参考】基礎からわかる「北京五輪と政治」(読売) http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2008/feature/20080411/ 08年に向けた2度目の招致の際には、開催候補地を北京か上海に絞る際、当時の江沢民国家主席の一言で、北京に決まった。01年のIOC総会で、人権問題など多くの懸念が指摘されながら、大阪などを破って開催権を獲得。中国国内では「百年の夢の実現」と言われている。 これは一体どういうことなのか。 なぜ北京を当選させたのか。 これのどこが中国を「制御する」ための作戦なのでしょうか。 北京で五輪を開催するという決定は、 IOCの商業的観点が露骨に表れたとして 様々な方面から非難を浴びることとなりました。 【参考】北京オリンピック(wiki) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E4%BA%AC%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF パリやトロントの招致提案が技術的により優れているとの声もあったが、サマランチ会長率いるIOCは商業的観点から、世界一の人口を持つと共に経済成長著しい中国でオリンピック開催を実現させることに特に意欲的であったと言われている。 私も以前このブログにおいて、 北京で五輪を開催することの是非を問う記事を 書いたことがありました。 【参考】ここがヘンだよ!北京五輪 http://keyboo.at.webry.info/200708/article_15.html 確かに、IOCの商業主義的側面は 大いにあるとは思われますが、 しかし、どうもそれだけではなさそうだということが、 最近の五輪を巡る騒動で明らかになったのです。 それは一体何だったのでしょうか。 (次回に続く) http://keyboo.at.webry.info/200805/article_5.html ご訪問頂きありがとうございます。 当ブログは下記ランキングサイトに参加しています。 あなたの清き一票をよろしくお願いします!! ![]() ![]() 【お知らせ】 「ニュースウォッチ」はメルマガに移行させて頂きました。 こちらも是非ご購読よろしくお願いいたします。 よろしければ下のバナーをクリック頂き登録画面にお進み下さい。 (ご参考) 「世界情勢」をもっと深く知りたい方におすすめの本
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天災、お見舞い申し上げます
中国大地震の死者1万人 1万5千人なお生き埋め 2008年5月13日 14時21分 ...続きを見る |
つぶやきオンライン日記 2008/05/13 16:53 |
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