途転の力学

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help リーダーに追加 RSS 五輪開催に向けて仕掛けられた中国包囲網(その1:電撃的「米中国交正常化」が成立した理由)

<<   作成日時 : 2008/05/08 08:00   >>

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サブプライム問題で米国がコケたという事実は、
ロシアにとって目的の達成を意味していた。
目的を達成したロシアにとって、
目下の脅威は米国から中国に変わっていた。
なので、ブッシュからの親書を見たプーチンは
米国との和解を選択した。
そして、訪ロした福田首相にお土産を持たせたことは、
対中方針の明確な転換を示すものだったのだ。


「中露が手を携えて米国に対抗するフェーズ」

から

「米露が手を携えて中国に対抗するフェーズ」

へと、ゲームのルールが変わった。


そして、ゲームのルールが変わったことを象徴するかのように、
チベット蜂起を皮切りに、中国に対する世界の風向きが
明らかに変わってきた。

【参考】中国分裂シナリオがついに始まった!?
http://keyboo.at.webry.info/200803/article_16.html


では、なぜ米露の利害が「対中」で一致したのか。
なぜ「ゲームのルール」が変わったのでしょうか。


その「ナゾ」を探るために、
まず40年ほど時間を遡ってみたいと思います。


歴史を紐解くと、これまで見えていなかったものが
意外に見えてくるようになる。のかな???


(やばい!このシリーズ本当に長〜くなりそうです。。。)


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<台湾から北京への乗り換えが起こった40年前の史実>


40年ほど前と言えば、1960年代後半。
当時の中国本土は、その後10年続く「文化大革命」の影響で、
国土が極度に疲弊をきたしていました。

【参考】文化大革命(wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E5%A4%A7%E9%9D%A9%E5%91%BD

始めは毛沢東指示の下、劉少奇からの政権奪還を目的として林彪の主導により進められた。林彪の毛沢東暗殺失敗にともなう国外逃亡時の事故死後は、「四人組」に率いられて毛沢東思想にもとづく独自の社会主義国家建設を目指したが、実質は中国共産党指導部における大規模な権力闘争に大衆を巻き込んだ大粛清であった。

共産党指導部に煽動された暴力的な大衆運動によって、当初は事業家などの資本家層が、さらに学者、医者などの知識人等が弾圧の対象となった。その後弾圧の対象は中国共産党員にもおよび、多くの人材や文化財などが甚大な被害を受けた。期間中の行方不明者を含めた虐殺数は、数百万人から約1,000万人(異説では3,000万人)と言われ、これによって中国の経済発展は20年遅れたと言われている。



当時の「北京政府」の国際的地位は極めて低かった。
当時国連に加盟していたのは「台湾」だった。
冷戦の真っ只中において、北京政府は、
東側陣営の代表格として、西側からは敵国扱いされていたのです。


だから、米国も日本も中国の「正統な」政府として
承認していたのは「台湾」の方であり、
国交も台湾と結んでいました。


しかし、それが70年代に入って急転直下、
米国が北京共産党政府を容認しだした。

それに追随して、日本を始めとした西側諸国も
手のひらを返したように、台湾から北京に乗り換えることとなった。

【参考】中華民国(wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%B0%91%E5%9B%BD

冷戦下の1971年に、中ソ対立の中でアメリカ合衆国をはじめとする西側諸国と、ソビエト連邦をはじめとする東側諸国との間で政治的駆け引きが行われた結果、国際連合における「中国の代表権」が中華人民共和国政府に移され、中華民国は国連とその関連機関から追放された。さらに、1972年にアメリカのリチャード・ニクソン大統領が北京を訪問し、中華人民共和国を承認する意向を見せると、日本は追随して中華人民共和国を承認し中華民国と断交。



これは一体どういうことなのだ。
反共防波堤の最前線として、
あれだけ擁護していた台湾を裏切ってまでも
北京政府を容認した米国の意図は
一体どこにあったのか。



また、東側陣営の代表格として君臨していた中国が、
西側の代表格である米国と手を結んだ意図は、
一体どこにあったのでしょうか。


読書はあなたの人生の可能性を飛躍的に広げてくれます。









<電撃的和解を選択した米・中両国の意図>


1960年から70年代にかけては冷戦の真っ只中であり、
中国は当時東側陣営に属していたわけですが、
その「東側」の雄である「ソ連」との関係はどうだったのでしょうか。


そりゃあ、同じ陣営に属しているから
良いに決まってるじゃないかと思いきや、
実際は全くの真逆で、「超最悪」だった。

【参考】中ソ対立(wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E3%82%BD%E5%AF%BE%E7%AB%8B

中ソ対立(ちゅうそたいりつ)とは、1960年代から表面化した中華人民共和国と旧ソ連のイデオロギー対立、軍事対立、政治対立を指す。

〜(中略)〜

1962年、平和共存に関する中ソ論争。キューバ危機に際して、中華人民共和国はソ連を「冒険主義」「敗北主義」「大国主義」として非難。この頃、中ソ対立は西側にも公然のものとなった。



つまり、北京政府にとって、
ソ連は味方どころか、立派な「脅威」だったのです。

だから、その「脅威」に備える必要があった。


では、一方の米国はどうだったのか。


冷戦真っ只中において、
「東」の雄であるソ連は敵に決まっている。


しかし、当時の米国の状況は、
ベトナム戦争の失敗によって国力が疲弊していた。

【参考】ベトナム戦争(wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E6%88%A6%E4%BA%89#.E3.82.A2.E3.83.A1.E3.83.AA.E3.82.AB

アメリカは自らの利益の為に遠いベトナムの地で起こしたこの戦争で戦死者58,000余名(派兵数全体の約10%)と1,700機の航空機、その他にも大量な兵器の損失を出し、その結果膨大な戦費負担は経済を直撃した。

〜(中略)〜

また、戦争をめぐっての国内世論分裂や事実上の敗北による挫折感は既成の価値観を崩壊させ、アメリカ国内では犯罪の増加や麻薬の増加、教育の崩壊・貧困の増加などがおきた。



そんな矢先に、中国が「文革」からの脱却を図ろうとしていた。
当時の北京共産党政府を率いていたのは、
改革開放の祖「ケ小平」だったのだ。

【参考】改革開放(wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%B9%E9%9D%A9%E9%96%8B%E6%94%BE

毛沢東時代の大躍進、文化大革命で疲弊した経済を立て直すため、現実派のケ小平は「四つの近代化」を掲げ、市場経済体制への移行を試みる。基本原則は先富論に代表されるように、先に豊かになれる条件を整えたところから豊かになり、その影響で他が豊かになればよいという考え方である。



「脅威を増しているソ連」「立ち直りつつある中国」
しかも、米国自身はベトナム戦争で疲弊している。
この両方と一度に対峙することは不可能だ。


どちらかとは手打ちをしなければならなかった。
そして、悩める米国は「中国(北京)」を選択した。



ソ連という最大の脅威に対抗するために、
台湾という盟友を捨ててまでも、
北京政府と手打ちをすることを米国は選択したのです。

【参考】日中・米中国交正常化過程の比較検証(殷燕軍)
http://opac.kanto-gakuin.ac.jp/cgi-bin/retrieve/sr_bookview.cgi/U_CHARSET.utf-8/NI10000614/Body/link/03yin.pdf

1960 年代末になって国際情勢は大きく変わり、米国にとっては幾つかの問題に直面するようになった。先ずベトナム戦争の泥沼から脱出する方法を探らなければならないこと、次にソ連の攻勢で戦略的に不利な情勢を挽回したいこと、第三に中ソ対立による社会主義陣営の分裂、東西冷戦だけではカバーできない国際情勢の出現、第四に中国は“文革”の最中から脱出し、国際社会への復帰を図り、すでに多くの国が大陸を承認している。第五に中国の政策調整に伴い、国際社会への発言権は増大したことなどである。ニクソン政権は、この情勢を敏感に察知し、対中政策の全面的転換を通じて泥沼のベトナム戦争から身を抜き、ソ連との競争のなかで勝ち抜こうと努めていた。

中国にとって、北方の強敵――ソ連の脅威が次第に増大し、米国など西側諸国との関係改善でソ連を牽制し、自国の安全保障環境を変えようとした。こうしてまさに米中双方はともに関係改善の必要性を痛感していたため、水面下での接触を模索していた。



では、この「米中国交正常化」という「手打ち」が
意味することは一体何なのでしょうか。


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<今に続くパワーゲームの原点>


それは、「敵の敵は味方になった」ということだ。


「ソ連対抗」という「共通目的」のために
反目しあっていた米中両国が、
「戦略的に」手を結んだという構図だ。


そして、その「共通目的」は
1991年の「ソ連崩壊」によって達成された。


【参考】ソ連崩壊(wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E9%80%A3%E5%B4%A9%E5%A3%8A

ソ連崩壊は、1922年の設立以来、アメリカ合衆国に匹敵する超大国として69年間続いたソビエト連邦が独立国家共同体(CIS)に取って代わられその国家格を失ったと言う事と、東側陣営の総本山として君臨し、前身のボリシェヴィキ時代を含めると1917年以来74年間続いたソ連共産党によるソ連型社会主義体制が崩壊した事により、かつて世界を二分した冷戦の時代が名実共に終焉を迎えたと言う、二つの文脈において重要な出来事である。



では、「共通目的」が達成された後、
「戦略的」に手打ちをしていた両国関係はどうなるのか。


これはデジャブだ。
どこかでこんな話があったではないか。

【参考】米国との和解を選択したロシアの事情
http://keyboo.at.webry.info/200804/article_8.html

今般の米国発サブプライム問題が、「ロシアにとって米国の脅威が減退した」ことを意味するのではないでしょうか。
ということは、元来仲の悪い中国と戦略的に結託して米国と対抗する意義が薄れてきたことを意味するのではないか。

そうなると、これまで見て見ぬふりをしていた「別の脅威」にどうしても目が行ってしまう。



東の雄「ソ連」は見事に崩壊したが、
二番目の雄である「中国」は見事に生き残っている。


しかも、ソ連崩壊によって他の東欧諸国同様
衰退するかと思いきや、改革開放政策によって、
逆に国力を増してきている。


その統率の徹底振りは、
ソ連崩壊直前に起きた「天安門事件」に対する
武力弾圧断行によって思い知らされた。

【参考】六四天安門事件(wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E5%AE%89%E9%96%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6

1989年6月4日に、中華人民共和国の北京市にある天安門広場に集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊が「人民解放軍」によって武力弾圧されデモ隊が殺害された事件である。

〜(中略)〜

この事件が中国共産党の一党独裁国家である中華人民共和国及び中国共産党そのものの異常性を示す例であるとして、その後の西側諸国を中心とする諸外国における同国の評価を下げる大きな原因の1つとなった。



この国がさらに力を増して、
「Uncontrollable」な状況になったらどうなるか。



それは間違いなく米国そして世界にとっての脅威となる。
共産党一党支配の独裁国家であればなおさらだ。
さらに中国は「核」を持っている。


今回、40年前の史実をわざわざ振り返ったのは、
今に続くパワーゲームの原点を押さえておくためだったのです。


つまり、米国にとって中国共産党政府という存在は、
「潜在的脅威性」を有する仮想敵国に他ならないのだ。



しかし、本当にそう言いきれるのか。


米国は日本という同盟国がありながら、
中国と軍事交流を進めたり、経済交流も活発で、
「敵国」どころか、
親密な友好関係を築いているように見えるじゃないか。

【参考】最近の中国情勢と日中関係(外務省)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/kankei_01.html

2001年9月の同時多発テロ以降、協力関係を模索しており、2002年の両国首脳による相互訪問を契機として、米中関係は基本的に良好に推移。米中双方は首脳外交を軸に「建設的協力関係」の促進を図っている。

昨年は、3月20日〜21日、7月9日〜10日にライス国務長官が訪中したほか、8月1〜2日にはゼーリック国務副長官が訪中し、米中シニア対話を開催した。また、9月13日には、胡錦濤国家主席が国連総会出席のために訪米した際、米中首脳会談が行われた。更に、10月18日〜20日には、ラムズフェルド国防長官が訪中、11月16日には、韓国・釜山におけるAPEC外相会議の際に米中外相会談が実施され、直後の19日〜21日にはブッシュ大統領が訪中、胡錦濤国家主席との間で会談を行った。12月7日〜8日には戴秉国外交部副部長が訪米し、第2回の米中シニア対話が開催された。本年4月には、胡錦濤国家主席が米国への初の公式訪問を行い、ブッシュ大統領との間で首脳会談を行った。これら累次のハイレベル交流において両国は良好な米中関係を確認、更なる発展で一致するとともに、貿易通商問題、人民元改革、中国の民主化及び人権問題、北朝鮮情勢、台湾問題等について意見交換。



この一見矛盾しているように見える現象は、
一体どう説明できるというのでしょうか。


(次回に続く)
http://keyboo.at.webry.info/200805/article_3.html

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
エントリーと関係が薄くてすみません。
率直にお聞きしたいのですが、チベットが永世中立国として独立できる途というのは考えられますか?
多様な東アジアの長期的安定のために、わたしにはチベットが永世中立国として独立するのが最良のここと思えるのです。
いかがでしょうか?
gujin
2008/05/09 23:03
gujinさん>
コメントありがとうございます。チベットがそういう形で独立できればハッピーだと私も思いますが、残念ながらチベットが「永世中立国」としての地位を獲得するのは難しいと思います。スイスの例を考えてみるとわかりやすいかと思うのですが、あの国が「永世中立国」の地位を保てている理由は2つあると思います。1つは民間まで含めた強力な防衛体制を築いているということ。我が家にもスイス政府が発行した「民間防衛」という書物があるのですが、そういう「防衛マニュアル」を作って国民全員に配布し、日ごろから訓練させて防衛体制を構築しているという点。もう1つは、もしかしたらこっちの方が大きいかもしれませんが、やはり徹底した秘匿性を有する「プライベートバンク」の存在です。金正日ですらスイスに莫大な資産を預けているといわれているくらい、その秘匿性の高さから世界中の金持ちや実力者の資産が集まっているスイスのプライベートバンク。
新快速 播州赤穂行き
2008/05/10 16:51
(続き)
それは同時に世界のリンカーたちにとって、スイスと利害関係を有することになりますから(預けた資産が安全に保管されるためにはスイスが「安全」である必要がある)、自然と「永世中立」である状況が生じるということになるわけです。これは「金融」の力です。なので、ただ「永世中立」を宣言すれば、そのポジションが得られるというわけではないということなんですね。その点を踏まえてではチベットはどうかというと、残念ながらまず「防衛力がない」ということ。そして、2番目の点についても「金融力」もない。そうなると、周りが中国やインドという発展途上で軍事力もあって、しかも資源を欲している国に囲まれているチベットが、「永世中立国」として独立するのは残念ながら厳しいのではないかと思います。
新快速 播州赤穂行き
2008/05/10 16:51
回答を有難うございました。チベットを中立国として維持しようとして国際的な力を結集する理由が見出し難いということですね。それに気概はあるとしても自力で軍事的独立を確保することはできそうにないということでしょうか(スイスもそれは難しいでしょうが)。
けれど中国の一部ということも釈然としないのです。
東アジアに不可侵の地域単位というものは作れないでしょうか。
gujin
2008/05/10 23:36
gujinさん>
「チベットを中立国として維持しようとして国際的な力を結集する理由が見出し難い」というわけではありません。チベットには豊富な地下資源がありますから、それを政治的に利用することは可能だと思います。それよりも「自力で軍事的独立を確保することはできそうにない」という点の方が重要だと考えています。チベットの問題でもう一つ考えないといけないと思われる視点として、大量の漢人流入や混血によってチベットの中でも利害関係が混在してしまっており、我々外部の人間は「チベットの」と一言で括ってしまいますが、その内実は意思統一が図られていない可能性が高いという点が上げられます。ダライラマは「独立」ではなく、チベットの歴史と文化を守るための「高度な自治」を求めていますね。一方で「それでは生ぬるい」といって完全独立を目指す「急進派」もいれば、現状維持を求める大量の入植漢人の存在(もはや純粋なチベット人が「チベット」地域のマジョリティではなくなってしまっている可能性がある)もあって、「独立という気概」がチベットの中でも意思統一されているわけではなさそうだということです。
新快速 播州赤穂行き
2008/05/11 14:08
(続き)
以前エントリーでも書かせて頂きましたが(http://keyboo.at.webry.info/200803/article_21.html)、チベットの安全保障の枠組みを多国間で作る体制を作る必要があり、それが出来ればおっしゃるような「不可侵の地域単位」を作ることは不可能ではないと思いますが、仮に独立して「民主化」した際に、そこで明らかになる「民意」というものが、大量の漢人入植の影響で実は純粋チベット人にとって反って不利な状況となってしまう可能性もある。そうなってしまったら、もう誰も手出しができなくなってしまうので、おいそれと「民主化」に行ってしまうのも危険だったりもする。なので非常に落とし処の難しい問題だと思います。
新快速 播州赤穂行き
2008/05/11 14:09

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