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サブプライム問題で米国がコケたという事実は、 ロシアにとって目的の達成を意味していた。 目的を達成したロシアにとって、 目下の脅威は米国から中国に変わっていた。 なので、ブッシュからの親書を見たプーチンは 米国との和解を選択した。 そして、訪ロした福田首相にお土産を持たせたことは、 対中方針の明確な転換を示すものだったのだ。 「中露が手を携えて米国に対抗するフェーズ」 から 「米露が手を携えて中国に対抗するフェーズ」 へと、ゲームのルールが変わった。 そして、ゲームのルールが変わったことを象徴するかのように、 チベット蜂起を皮切りに、中国に対する世界の風向きが 明らかに変わってきた。 【参考】中国分裂シナリオがついに始まった!? http://keyboo.at.webry.info/200803/article_16.html では、なぜ米露の利害が「対中」で一致したのか。 なぜ「ゲームのルール」が変わったのでしょうか。 その「ナゾ」を探るために、 まず40年ほど時間を遡ってみたいと思います。 歴史を紐解くと、これまで見えていなかったものが 意外に見えてくるようになる。のかな??? (やばい!このシリーズ本当に長〜くなりそうです。。。) ご訪問頂きありがとうございます。 当ブログは下記ランキングサイトに参加しています。 あなたの清き一票をよろしくお願いします!! ![]() ![]() 【お知らせ】 「ニュースウォッチ」はメルマガに移行させて頂きました。 こちらも是非ご購読よろしくお願いいたします。 よろしければ下のバナーをクリック頂き登録画面にお進み下さい。 ↑過去記事をご覧頂ける方は、こちらをクリックして下さい。 <台湾から北京への乗り換えが起こった40年前の史実> 40年ほど前と言えば、1960年代後半。 当時の中国本土は、その後10年続く「文化大革命」の影響で、 国土が極度に疲弊をきたしていました。 【参考】文化大革命(wiki) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E5%A4%A7%E9%9D%A9%E5%91%BD 始めは毛沢東指示の下、劉少奇からの政権奪還を目的として林彪の主導により進められた。林彪の毛沢東暗殺失敗にともなう国外逃亡時の事故死後は、「四人組」に率いられて毛沢東思想にもとづく独自の社会主義国家建設を目指したが、実質は中国共産党指導部における大規模な権力闘争に大衆を巻き込んだ大粛清であった。 当時の「北京政府」の国際的地位は極めて低かった。 当時国連に加盟していたのは「台湾」だった。 冷戦の真っ只中において、北京政府は、 東側陣営の代表格として、西側からは敵国扱いされていたのです。 だから、米国も日本も中国の「正統な」政府として 承認していたのは「台湾」の方であり、 国交も台湾と結んでいました。 しかし、それが70年代に入って急転直下、 米国が北京共産党政府を容認しだした。 それに追随して、日本を始めとした西側諸国も 手のひらを返したように、台湾から北京に乗り換えることとなった。 【参考】中華民国(wiki) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%B0%91%E5%9B%BD 冷戦下の1971年に、中ソ対立の中でアメリカ合衆国をはじめとする西側諸国と、ソビエト連邦をはじめとする東側諸国との間で政治的駆け引きが行われた結果、国際連合における「中国の代表権」が中華人民共和国政府に移され、中華民国は国連とその関連機関から追放された。さらに、1972年にアメリカのリチャード・ニクソン大統領が北京を訪問し、中華人民共和国を承認する意向を見せると、日本は追随して中華人民共和国を承認し中華民国と断交。 これは一体どういうことなのだ。 反共防波堤の最前線として、 あれだけ擁護していた台湾を裏切ってまでも 北京政府を容認した米国の意図は 一体どこにあったのか。 また、東側陣営の代表格として君臨していた中国が、 西側の代表格である米国と手を結んだ意図は、 一体どこにあったのでしょうか。 読書はあなたの人生の可能性を飛躍的に広げてくれます。 <電撃的和解を選択した米・中両国の意図> 1960年から70年代にかけては冷戦の真っ只中であり、 中国は当時東側陣営に属していたわけですが、 その「東側」の雄である「ソ連」との関係はどうだったのでしょうか。 そりゃあ、同じ陣営に属しているから 良いに決まってるじゃないかと思いきや、 実際は全くの真逆で、「超最悪」だった。 【参考】中ソ対立(wiki) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E3%82%BD%E5%AF%BE%E7%AB%8B 中ソ対立(ちゅうそたいりつ)とは、1960年代から表面化した中華人民共和国と旧ソ連のイデオロギー対立、軍事対立、政治対立を指す。 つまり、北京政府にとって、 ソ連は味方どころか、立派な「脅威」だったのです。 だから、その「脅威」に備える必要があった。 では、一方の米国はどうだったのか。 冷戦真っ只中において、 「東」の雄であるソ連は敵に決まっている。 しかし、当時の米国の状況は、 ベトナム戦争の失敗によって国力が疲弊していた。 【参考】ベトナム戦争(wiki) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E6%88%A6%E4%BA%89#.E3.82.A2.E3.83.A1.E3.83.AA.E3.82.AB アメリカは自らの利益の為に遠いベトナムの地で起こしたこの戦争で戦死者58,000余名(派兵数全体の約10%)と1,700機の航空機、その他にも大量な兵器の損失を出し、その結果膨大な戦費負担は経済を直撃した。 そんな矢先に、中国が「文革」からの脱却を図ろうとしていた。 当時の北京共産党政府を率いていたのは、 改革開放の祖「ケ小平」だったのだ。 【参考】改革開放(wiki) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%B9%E9%9D%A9%E9%96%8B%E6%94%BE 毛沢東時代の大躍進、文化大革命で疲弊した経済を立て直すため、現実派のケ小平は「四つの近代化」を掲げ、市場経済体制への移行を試みる。基本原則は先富論に代表されるように、先に豊かになれる条件を整えたところから豊かになり、その影響で他が豊かになればよいという考え方である。 「脅威を増しているソ連」と「立ち直りつつある中国」 しかも、米国自身はベトナム戦争で疲弊している。 この両方と一度に対峙することは不可能だ。 どちらかとは手打ちをしなければならなかった。 そして、悩める米国は「中国(北京)」を選択した。 ソ連という最大の脅威に対抗するために、 台湾という盟友を捨ててまでも、 北京政府と手打ちをすることを米国は選択したのです。 【参考】日中・米中国交正常化過程の比較検証(殷燕軍) http://opac.kanto-gakuin.ac.jp/cgi-bin/retrieve/sr_bookview.cgi/U_CHARSET.utf-8/NI10000614/Body/link/03yin.pdf 1960 年代末になって国際情勢は大きく変わり、米国にとっては幾つかの問題に直面するようになった。先ずベトナム戦争の泥沼から脱出する方法を探らなければならないこと、次にソ連の攻勢で戦略的に不利な情勢を挽回したいこと、第三に中ソ対立による社会主義陣営の分裂、東西冷戦だけではカバーできない国際情勢の出現、第四に中国は“文革”の最中から脱出し、国際社会への復帰を図り、すでに多くの国が大陸を承認している。第五に中国の政策調整に伴い、国際社会への発言権は増大したことなどである。ニクソン政権は、この情勢を敏感に察知し、対中政策の全面的転換を通じて泥沼のベトナム戦争から身を抜き、ソ連との競争のなかで勝ち抜こうと努めていた。 では、この「米中国交正常化」という「手打ち」が 意味することは一体何なのでしょうか。 「知識」を獲得して差をつけますか?それとも回り道しますか?さあ、あなたの可能性を無限に広げる「知」の世界へGO! <今に続くパワーゲームの原点> それは、「敵の敵は味方になった」ということだ。 「ソ連対抗」という「共通目的」のために 反目しあっていた米中両国が、 「戦略的に」手を結んだという構図だ。 そして、その「共通目的」は 1991年の「ソ連崩壊」によって達成された。 【参考】ソ連崩壊(wiki) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E9%80%A3%E5%B4%A9%E5%A3%8A ソ連崩壊は、1922年の設立以来、アメリカ合衆国に匹敵する超大国として69年間続いたソビエト連邦が独立国家共同体(CIS)に取って代わられその国家格を失ったと言う事と、東側陣営の総本山として君臨し、前身のボリシェヴィキ時代を含めると1917年以来74年間続いたソ連共産党によるソ連型社会主義体制が崩壊した事により、かつて世界を二分した冷戦の時代が名実共に終焉を迎えたと言う、二つの文脈において重要な出来事である。 では、「共通目的」が達成された後、 「戦略的」に手打ちをしていた両国関係はどうなるのか。 これはデジャブだ。 どこかでこんな話があったではないか。 【参考】米国との和解を選択したロシアの事情 http://keyboo.at.webry.info/200804/article_8.html 今般の米国発サブプライム問題が、「ロシアにとって米国の脅威が減退した」ことを意味するのではないでしょうか。 東の雄「ソ連」は見事に崩壊したが、 二番目の雄である「中国」は見事に生き残っている。 しかも、ソ連崩壊によって他の東欧諸国同様 衰退するかと思いきや、改革開放政策によって、 逆に国力を増してきている。 その統率の徹底振りは、 ソ連崩壊直前に起きた「天安門事件」に対する 武力弾圧断行によって思い知らされた。 【参考】六四天安門事件(wiki) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E5%AE%89%E9%96%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6 1989年6月4日に、中華人民共和国の北京市にある天安門広場に集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊が「人民解放軍」によって武力弾圧されデモ隊が殺害された事件である。 この国がさらに力を増して、 「Uncontrollable」な状況になったらどうなるか。 それは間違いなく米国そして世界にとっての脅威となる。 共産党一党支配の独裁国家であればなおさらだ。 さらに中国は「核」を持っている。 今回、40年前の史実をわざわざ振り返ったのは、 今に続くパワーゲームの原点を押さえておくためだったのです。 つまり、米国にとって中国共産党政府という存在は、 「潜在的脅威性」を有する仮想敵国に他ならないのだ。 しかし、本当にそう言いきれるのか。 米国は日本という同盟国がありながら、 中国と軍事交流を進めたり、経済交流も活発で、 「敵国」どころか、 親密な友好関係を築いているように見えるじゃないか。 【参考】最近の中国情勢と日中関係(外務省) http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/kankei_01.html 2001年9月の同時多発テロ以降、協力関係を模索しており、2002年の両国首脳による相互訪問を契機として、米中関係は基本的に良好に推移。米中双方は首脳外交を軸に「建設的協力関係」の促進を図っている。 この一見矛盾しているように見える現象は、 一体どう説明できるというのでしょうか。 (次回に続く) http://keyboo.at.webry.info/200805/article_3.html ご訪問頂きありがとうございます。 当ブログは下記ランキングサイトに参加しています。 あなたの清き一票をよろしくお願いします!! ![]() ![]() 【お知らせ】 「ニュースウォッチ」はメルマガに移行させて頂きました。 こちらも是非ご購読よろしくお願いいたします。 よろしければ下のバナーをクリック頂き登録画面にお進み下さい。 (ご参考) 「世界情勢」をもっと深く知りたい方におすすめの本
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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エントリーと関係が薄くてすみません。 |
gujin 2008/05/09 23:03 |
gujinさん> |
新快速 播州赤穂行き 2008/05/10 16:51 |
(続き) |
新快速 播州赤穂行き 2008/05/10 16:51 |
回答を有難うございました。チベットを中立国として維持しようとして国際的な力を結集する理由が見出し難いということですね。それに気概はあるとしても自力で軍事的独立を確保することはできそうにないということでしょうか(スイスもそれは難しいでしょうが)。 |
gujin 2008/05/10 23:36 |
gujinさん> |
新快速 播州赤穂行き 2008/05/11 14:08 |
(続き) |
新快速 播州赤穂行き 2008/05/11 14:09 |
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