途転の力学

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help リーダーに追加 RSS 私たちが本当に失ったものは何なのか(格差問題はどう考えればいいのか:その6)

<<   作成日時 : 2008/02/15 08:46   >>

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格差是正には理論的には政府の関与が必要だが、
お上(政治家・官僚)は、その再配分の担い手としての
優秀さを持ち合わせておらず、
日本における「政府」の再配分機能は、
残念ながら信頼に足るものではないことがわかった。


国民の政・官に対する信頼は地に堕ちていた。
そして、ここまでお上に対する不信が極まると、
「もうこれ以上無駄な関与をしないでくれ」
という声が大半になると思われた。


しかし、国民のリアクションは違った。
信じられないはずのお上にまた救いを求めたのだ。
格差是正のために、規制を強化し、
財政をばら撒くことを求めた。


先の参院選において、
ばら撒き公約を掲げた小沢民主党を勝たせた行為が、
そのことを如実に示していた。


お上のことは全く信頼していない一方で、
それでもお上に救いを求める。


この一見アンビバレンスな感情は、
一体どこから生まれてくるのでしょうか。


その答えとして、
今回はとある本からの引用をさせて頂きたいと思います。


本書は、当ブログでも一度ご紹介させて頂いたことが
あるのですが、文字通り「日本人の法感覚」を
文化的側面から考察した名著です。

【参考】日本人の法感覚とは
http://keyboo.at.webry.info/200710/article_18.html


残念ながら絶版になっているのですが、
この日本人のアンビバレンスな感情を
見事に表現している部分がありますので、
少し長いですが是非ご紹介させて頂きたいと思います。


実は、ここに問題解決のための
もう一つのヒントが隠されているのです。


日本人の法感覚日本人の法感覚
中川 剛

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<利益社会のわな>


コミュニティがなにかは、定義がさまざまであるが、
感覚的には大体において一致している。


共通の利害、関心によって作られる集団をアソシエーション
社会的共同生活のための集団をコミュニティとしておく。


会社や組合や政党、宗教団体などのように、
利害関係の一致する者が契約や意思によって
参加するのがアソシエーションであるのに対して、



家庭や地域、自治体などのように、
自然に、あるいは偶然のきっかけでできあがる集団が
コミュニティである。



〜(中略)〜


敗戦後の日本では、
家や近隣、国家などのコミュニティの拘束が強かった。


戦後の日本では、会社や組合、政党などの
利害によって結びつくアソシエーション志向が強くなっている。
アソシエーションへの加入は、自己の選択によっているから、
近代化の方向に一致している。


こうして日本は国家主義の過去から、
利益社会に変身することになった。
政治にたいして経済優先となり、
個人主義が至上価値とされることになった。


利益社会化が進んだ反面、家庭は頽廃し、
地域社会は見捨てられ、
政治家でさえ国家のことを考えなくなった。

われわれは個人を解放しようとして、個人の墓穴を掘ってきた。


個人はコミュニティのなかではじめて人間になり、
自治の基本は地域社会にあることが
見のがされてきたのである。



自治は集団の構成員が受容できる法を作り出すことでもあるから、
日本人は地域社会を荒廃させることで、
自発的に法を生み出し、運用する場を失いつつあったことになる。


〜(中略)〜





<コミュニティとしての”まち”と”むら”>


近代的な市町村制によって、地方の民度は向上したが、
一方では自治が国家行政のなかに組みこまれることにもなった。
すなわち、かつてのまちやむらは、市町村の一部となって、
町内会などに名を変えて細々と存続したが、
いずれにしても自治単位としては考えられなくなった。


事実上は自治機能を継続していたとしても
問題にならない程度のものに局限され、
国家行政の一環としての自治が
市町村によって果たされることになった。


一般的にはこの、近代化のために導入された形式的な自治のほうが、
あたかも本来の自治であるかのように受けとられているが、
当初の経緯から見ても明らかなように、
明治の地方制度は国策本位に定められたのであって、
自然発生的なコミュニティは問題外とされた。



合併以前の町村や五人組等の存在は、
制度外に放置されたまま、
なんら評価されるところがなかったのである。


〜(中略)〜


欧米とちがい、日本では市町村が
さらに町内会自治会等の住民集団に分かれること、
日本の市町村がいくつものコミュニティを統合してできあがっている
という地域の構造に、占領軍は気づかなかったのである。


第二次大戦後、地域共同体が見捨てられ衰弱して、
企業を中心とする経済発展ばかりが追求され、
家庭から国家にいたるまで、
およそコミュニティと考えられる集団の共同体意識が
衰弱していったのも当然のことである。







<行政需要の拡大>


第二次大戦後は、国家意識の希薄さが
自由主義・民主主義の証明であるという奇妙な時代精神が現われて、
政治は経済発展に追随するものでありつづけたが、
その副産物のように地域は自立的自主的に
問題を解決するということができなくなった。


ここに、国民の側からの行政需要が飛躍的に増大する
という行政国家現象が顕在化し、
ことに住民からの生活要求が主として提起される
地方自治体に独自の対応が必要とされるようになった。



〜(中略)〜


一般的に言えば、法的正義や公共性の観念が、
国の法令中心に考えられるものではなくなって、
地域ごとに具体的な対応のなかから
発見されなければならないという傾向にある。


すると、政策の方向を決定するのは、
やはり住民でなければならない。
問題はそのときの住民が
はたして自治を担える存在であるかどうかということである。


単なる受益者であっては、自治の主体とはなりえない。
自治の主体であるためには、個人的利害よりは高次の
住民意思を示すことができるものでなくてはならない。


そのためには自然発生的なコミュニティが
いかにまとまっているかが決め手となるはずである。

個々ばらばらの住民が投票で代表者を選ぶだけでは、
実質的に自治を何者かに委ねてしまう儀式にしかならないからである。






<草の根は枯れていないか>


洋の東西を問わず、コミュニティが力を失うことは、
人々がいっそう深く行政に依存することを意味している。

地域社会が生活空間として成立しないと、
住民は砂粒のような個人に分解される。


その結果、自発的に社会の法的ルールを形成し
維持していくという、
自治の最も基本的な条件を身につける機会が失われるのである。


問題はすでに家庭に現われている。


過去の家父長主義に対しての個人の自由平等が
尊重されるようになったのは評価すべき合理化であるが、
その反面、家庭は秩序を作り出す能力を失い、
責任が不明瞭になった。


教育機能は損なわれ、
問題解決のために権威も見あたらなくなった。
これは地域社会が見捨てられて、
家庭がそれぞれ離れ小島になってしまったためである。



現代の家庭は、財産や教育で他人と競争するための、
個人的利益の延長にすぎなくなっている。
したがって、親が家庭を生きがいにしていても、
子供のほうには共同体意識が形成されない。



また太宰治が、家庭の幸福は諸悪の本と言い放ったのも、
それが官僚ばかりでなく、
一般的に社会的指導者を狭い利害の枠に
とじこめてしまうものだからである。


地域が自然に形成され、
紛争を平和的に処理できるほどの相互の交流があれば、
大人も子供も割り当てられた
社会的責任を自覚する機会が得られ、
政治秩序のなんたるかを学んでいくことになるだろう。



地方自治は民主主義の学校と言われるが、
日本の地方議会を見学したからといって
学校に代わる効果があるものではなく、
日本ではやはり、コミュニティとしての地域社会こそ、
民主主義の学校たるべきものであろう。


にもかかわらず、抽象的に自由平等な個人の集合で、
家庭をとらえ、地域をとらえ、国家を想定してきたところに、
日本国憲法の歩みとともにしてきた
戦後民主主義の弱点があったように思われる。



〜(中略)〜


もっとも、自治会・町内会等の現状にも問題がないわけではなくて、
自治の拠点となるよりもむしろ、
選挙の集票機構として、あるいは戦争中のように
行政の末端としてのみ利用されがちであるという弱点があり、
行政依存に馴れてしまった住民を魅きつける力に欠けている。


これについての政策的な処方は
別に考えられなくてはならないが、
落語に登場する貧乏長屋の住人の活気やヒューマニズムを、
青ざめ衰弱した自治の問題解決の手がかりとして
ふりかえってみる必要があることばかりは疑いえないようだ。


古いコミュニティの悪弊の象徴のように
言及される「村はちぶ」でさえ、
二分(火事・葬式)のつきあいは残していた。
現代にはそれさえ残されているかどうか。





いかがだったでしょうか。


日本人の抱えるアンビバレンスの感情の源が
おわかり頂けたでしょうか。


お上に期待したいのではない。
お上に期待せざるを得なかったのです。


では、なぜ期待せざるを得ないのか。
それは「コミュニティが崩壊してしまった」からです。



コミュニティが崩壊してしまったがゆえに、
お上への過度の期待即ち
「行政需要の増大」となって表れているのです。



では、なぜコミュニティが崩壊してしまったのか。
それは我々が「行き過ぎた個人主義」に
浸りすぎてしまったから
です。


「行き過ぎた個人主義」に陥った私たちは、
他人に無関心になりすぎました。
他人に無関心になるということは、
コミュニケーションの希薄化をもたらしました。

【参考】人間関係「希薄に」80%…読売世論調査
http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe6100/news/20060611i213.htm

「人と接するのをわずらわしいと思う人が増えた」49%が最も多く、次いで、「人の立場を理解できない人が増えた」48%、「テレビゲームやパソコンなどでひとりの時間を過ごす人が増えた」45%――などの順だった。

人間関係の希薄化で社会にどんな悪影響が出るのかについては、「自己中心的な人が増える」62%、「社会のモラルが低下する」55%、「地域のつながりが薄れる」53%――など。



コミュニケーションが希薄化するとともに、
近所付き合いがなくなっていきました。
隣に誰が住んでいるかにすら、関心を持たなくなりました。


日常見られるこの現象こそ、
立派な「コミュニティ崩壊の姿」です。


【参考】調査データ クリップ!子どもと教育(Benesse教育研究開発センター)
http://benesse.jp/berd/data/dataclip/clip0009/index2.html

画像



そして、無関心と没コミュニケーションは、
「助け合いの精神」を奪いました。

知らない人には無関心だが、
知り合いには救いの手を差し伸べるのが人間というもの。


しかし、没コミュニケーションにより、
他人との関わりが薄くなり、
「人のために」という意識が希薄になってしまった。


本来は知り合い同士が集まる「コミュニティ」が
その役割を担ってきたのだが、今はそれがなくなった。


だから、人に相談できず、
一人で悩み苦しみを抱えなくてはいけない人が
増えてしまった。


日本は先進国の中で自殺が著しく多いと言われているが、
その本当の原因は「コミュニティの崩壊」にこそ
あるのではないか。


【参考】失業者数・自殺者数の月次推移(社会実情データ図録)
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2740.html
【参考】自殺率の国際比較(社会実情データ図録)
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html


心から相談できる友人や家族がいたり、
救いの手を差し伸べることのできる「コミュニティ」があれば、
一人で苦しんだ末に自殺まで至らずに済んだ方も
たくさんいるのではないだろうか。


格差の問題は、ただお上の力を借りて
その差を埋めれば済むという問題ではない。
もちろんそれも必要ではあろうが、
それだけでは本当の問題解決にはならない。



私たちが本当に失ったものは何でしょうか。
それは金銭的な「平等」なのでしょうか。
そして、それが全てなのでしょうか。


違う。
私たちが本当に失ったのは「人との絆」なのです。

地域に根付いた「コミュニティ」なのです。


自分のことしか考えないのは、
何も政治家や官僚だけではない。
わたしたち一般大衆もそうなってしまったのだ。


【参考】公が公なら民も民(頂門の一針 2008/2/12号)
http://www.melma.com/backnumber_108241_3997407/


「コミュニティ」が崩壊したまま、
お上に依存しすぎるのは、いずれ国家財政の破綻を生む。
日本のお上の再配分機能は当てにならないから尚更だ。


「コミュニティの再生」なくして
格差問題の解決はない。

そのためには行き過ぎた個人主義を修正しなくてはならない。


でもそれは「国家意識の高揚」とは違う。
「身近な」他人に関心を持ち、
「身近な」他人とのコミュニケーションを増やし、
「身近な」コミュニティの構成員として
「助け合いの精神」を身につけること。


他人と付き合うのはたしかに面倒くさい。
人間関係が大変なときもあるし、
いやなことに付き合わないといけないこともある。


しかし、普段から顔を突き合わせているからこそ、
「いざ」というときに助け合える力になる。
このコミュニティの「力」こそ、
日本は再生させる必要があるのではないでしょうか。


「格差問題」は「経済政策」だけの問題ではないと
考える所以は、まさにここにあると思われるのです。


(次回は格差問題の最終回です。)
http://keyboo.at.webry.info/200802/article_11.html

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コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
地域と言うコミュニティは崩壊はまだまだ進んでいくでしょう。しかし、人間は群れたく、真似の好きな生物です。哺乳類であれば悉くと思います。それとNPOという訳の分らないものとこのWebが相乗効果を出してどういうコミュニティが醸成されていくか楽しみです。それは格差社会とは又別次元のものだと考えます。所得はあくまで個人の技能の問題でしょうから。
hbar
2008/02/15 17:58
こんばんは。

本シリーズは本当に力作ですね。まだコメントは最終回まで我慢しますが、先日拙ブログになぜあのコメントをいただいたのかその理由がよくわかりました(笑

とても知的興奮を覚える内容です。では最終回を楽しみにしております。
日比野
2008/02/15 22:42
hbarさん>
コメントありがとうございます。所得が個人の技能の問題というのはたしかにその通りだと思います。ただ、このシリーズで取り上げたかったのは、格差を埋める方法はもちろんなのですが、実際データ上びっくりするほど格差が開いているわけではないのに、これほどまでの社会問題になっている原因とそれに対する処方箋を考えることにもあるのです。その観点から言うと、コミュニティの再生すなわち人との交流は、一人で悩み苦しむよりは知恵も生まれるし、そうして培われる民度の向上は行政からの自立心を生み、社会の活力となる。今はそれを全て他人のせいにして文句を言うばかりですよね。政府のせいにしたり、金持ちのせいにしたり、外資のせいにしたり。それが、自立をすれば現実を受け入れそれを自ら主体的に解決する気概を生むことになる。この民度の向上こそが、実は最も大事なのではないかと考えたのです。
新快速 播州赤穂行き
2008/02/16 00:11
日比野さん>
お忙しい中ご訪問ありがとうございます。またお褒めの言葉も頂戴しありがとうございます。私はシリーズものを書くときに、実は落とし処を考えないで書き始めることが多くて、今回のシリーズも自分でもこんな展開になるとは思っていませんでした。どちらかというと、政府が悪い、官僚が悪いという結論になるかと思っていたのですが、色々考察を重ねていくうちに、まずは自分達の足元を見なくてはいけないということに気になりました。(異論はあるかもしれませんが)日本人は人のせいにする悪いくせがあると思っていましたが、かく言う自分がそうだったということを思い知らされたのです。とはいえ、問題提起的な要素も込めておりますので、またご意見頂戴できればと思います。
新快速 播州赤穂行き
2008/02/16 00:24
問題はドロップアウトした人達ですよね。破産に限らず収入減に悩む人達、自殺者が減りませんね。地域において負け組は小さくなってしまいます。例外があるとすれば祖先の陰徳です。「貴方のお祖父さんに世話になった」という想いを持つ人達だけが彼らに関ります。地域でなくドロップアウトした人々のコミュニティはあると思います。昔から八起き会がありますものね。
hbar
2008/02/16 08:25

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