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新シリーズの構想に頭を悩ませているのと、 珍しく業務が多忙なことから、更新が途絶えておりますが、 このまま忘れ去られてしまうのも悲しいので、 今週は私の姉妹サイトを参考に、「書評」という形で いくつかご紹介させて頂きたいと思います。 (新シリーズ開始は来週からになりそうです。 手抜きで申し訳ありません。 開店休業中(笑)の私の姉妹サイトはこちらです。 http://keyboo.cocolog-nifty.com/blog/) このブログは、世の中を動かす力学を読み解くことを 目的としたもので、 個々の出来事から、そのウラで働く「力学」を 探る記事を書いてまいりました。 そういう「力学」を解明する上で非常に参考になる 書籍群を不定期でご紹介させて頂きたいと思います。 1回目の今日は、「宗教」に関してです。 日本人は無宗教の方が多いせいもあってか、 宗教になじみが薄く、自分たちの生活との関わりを感じる ことも少ないと思いますが、それは世界的に見ると極めて 特異な例であって、外国においては宗教と生活とは 非常に深い関わりを持っている。 仮に、普段熱心に礼拝をしたりしない場合でも、 彼らの行動様式には、 宗教が少なからず影響を及ぼしており、 まさに「規範」としての役割を明に暗に果たしている。 だからこそ、国際情勢を理解するためには、 「常識」として「英語」と並んで「宗教」の知識というのは 必要不可欠なのではないかと思うのです。 というわけで、今回は社会科学の碩学が書かれた この本をご紹介させて頂きます。 「宗教」の本質を知りたい方にお勧めの入門書です。
(以下書評)************************************** http://keyboo.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/27_67a0.html 「日本人は宗教に無知である」と言われる。 この本の著者もそう言っている。 では、そもそも「宗教」とは一体何なのだろうか。 辞書的には 「神仏を信仰し、幸福を求めようとする教え」だという。 何か表面的過ぎる感じがする。 十字軍による異教徒の大量殺戮。 イスラームによる自爆テロ。 普通の感覚からは考えられない行動。 明らかに「宗教」と結びついていると思われるその行為は、 本当に「幸福を求めようとする教え」から来るものなのか。 マックス・ウェーバーは 「宗教」を「行動様式」と定義した。 つまり、 「あるものを信じ、その信じるものに従って行動する」 ということ。 「神」とか「仏」とかいう概念はあえて取っ払う。 この定義は非常に巧い。 そうなれば、「宗教」も「イデオロギー」も同じ範疇で考えられる。 共産主義も「イデオロギー」を信じる一種の「宗教」なのである。 普通の感覚からは考えられない残虐な行動も、 信じるものに従って行動している限り、 罪悪感などあるわけがない。 十字軍による異教徒の大量殺戮も、 イスラームによる自爆テロも、 共産主義者による革命テロルも、 彼らの「信じるもの」に従っている限り、全て正当化されるのだ。 筆者は言う。 「だから宗教は恐ろしいのだ」と。 本書は、まず宗教とは何たるものなのか、 そして、それがいかに恐ろしいものであるかを論じた後、 キリスト教、仏教、イスラームのそれぞれについて、 彼らが信じるものは何かを「客観的かつ正確に」解明していく。 この「宗教を正確に知る」ことは極めて大事だ。 なぜなら、「行動様式」である宗教は、 文字通りそれを信じる 人々の行為に対する動機となるからだ。 日本人が理解できない外国人の行動様式は、 「宗教」で説明できることも多いだろう。 おそらく、「英語」と並んで「宗教」の知識は 国際常識のような気がする。 この本が優れているのは、「宗教」という極めて 主観が入りやすいテーマであるにも関わらず、 筆者の中立性・客観性が貫かれていることだ。 たしかに、 筆者は「イスラームこそが宗教の手本だ」と言っているが、 それは教義の内容ではなく「宗教」としての様式のことだ。 内面的信仰とそれを具現化する外形的行動の両方が 完璧に定義されているという意味においてである。 完璧な宗教などない。 なぜなら、死後の世界を知る人間など誰もいないからである。 それは、キリスト教やイスラームの言うように 「永遠の死」なのかもしれないし、 仏教の言うように「輪廻転生」が起こるのかもしれない。 何を信じようがその人の自由だ。 人の思想信条をとやかく言うつもりはない。 しかし、それは人様に迷惑をかけない限りにおいてのみ 許されるのではないだろうか。 「宗教」は「幸福を求めようとする教え」であるようだが、 それが 「『自分(だけ)の』幸福を求める教え」なのか、 「『みんなの』の幸福を求める教え」なのか によって人々の行動様式は変わってくる。 さらに、自分の信じるものを信じない他者に対して、 「それを許容・共存してもよいという教えなのか」 「それとも徹底的に排除すべきであるという教えなのか」 によっても行動様式は変わってくる。 では問題です。 「自分だけの幸福を求め、自分の信じるものを 信じない他者を排除すべきであるという教え」 だと人はどういう行動を起こすでしょうか。 考えただけでも恐ろしい・・・。 しかし、「宗教」はそれだけの力を持っているのである。 ←あなたのお役に立てたらクリックしてください(ご参考) 「世界情勢」をもっと深く知りたい方におすすめの本
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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日本政府はチベット問題を中国に糾(ただ)せ!
この記事は、gooブログの9月25日の「陸奥月旦抄」氏の記事『メルケル独首相がダライ・ラマと会談 』に対する10月24日付けの筆者のコメントを引用し、多少修正したものである。ご参考になれば幸いである。 ...続きを見る |
東郷 幹夫の思いつくまま日記 2007/10/24 20:20 |
カリフォルニア大火で太平洋岸1/4焼失!100万人避難
||| 避難民百万人史上空前のカリフォルニア大火 ||| ...続きを見る |
米流時評 2007/10/24 20:45 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|---|
宗教は自分の存立の基本にあるものでは。 |
くま 2007/10/28 16:27 |
くまさん> |
新快速 播州赤穂行き 2007/10/28 22:21 |
アメリカにいると、日常生活における宗教、それから人の価値観の考え方の根底に宗教の影響は相当感じます。それに対して日本は八百万の神であり、神道と仏教も混じってしまって、特に誰もどれに拘る訳でない文化のせいか、日本人は宗教に余り拘りがない社会ではあります。勿論中には過激な宗教団体もありますが。 |
文太 2007/11/07 12:08 |
以前にサンフランシスコのアジア博物館とか、日本国内の美術館などに展示されてる、仏が描かれた昔の掛け軸で何度か見かけたのが、掛け軸の指の部分に穴が開いていてそこに金具がついてるものです。これは金具に七色の糸を結んで、その反対側を死に行く人の指に結んで、成仏させるという使い方をされていたそうです。 |
文太 2007/11/07 12:10 |
文太さん> |
新快速 播州赤穂行き 2007/11/07 20:03 |
(続き) |
新快速 播州赤穂行き 2007/11/07 20:04 |
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