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<市場メカニズムをどこまで信じるか> 経済のグローバル化は別に今に始まったわけではなく、 それをもたらした要因は、IT革命(ネットインフラの整備)とは 無関係であるといっていいと思います。 ただ、そのグローバル化の深度が増したことによって、 ●「大多国籍企業の勃興(企業のグローバル化)」と ●「IT革命(ネットインフラの整備)」とが重なって、 ●「経済のフラット化」現象が起きており、 ●そのことが社会全体に重大な地殻変動をもたらしている、 ということが見えてきました。 今回はその点について、考えてみたいと思います。 ここから少し学問的な話に入ります。 (私は一応経済学部卒ではありますが、在学中経済学の勉強はほとんど しておりませんので、厳密な学問的間違いはご容赦頂きたいと思います) ウィキによれば、「経済学」という学問は 「有限な資源から、いかに価値を生産し分配していくかを研究する学問」 とあります。 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6) ここで最大の論点として挙げられるのは、 「その生産のための資源配分及び、 生産の成果物を分配するに当たって、 その配分・分配機能に人手を関与させるべきかさせないべきか」 という論点です。「人手」というのは当然「政府」のことです。 「人手」を介さない場合は、その配分・分配機能は全て市場メカニズムに よって行われることになりますので、「人手」を介さない度合いというのは 「市場メカニズムに対する信頼度」を表します。 ちょっと難しい話になりますが、 この「市場メカニズムが機能する」というのは、学問的には 「市場メカニズムによって自動的に完全雇用状態(=非自発的失業者がいない) が達成される」 ということを意味します。 歴史的には、アダム・スミスの「神の見えざる手」に代表されるように、 市場メカニズムに対する絶対的信頼から始まったのですが、 その後市場は完璧ではないという現象が明らかになるにつれて、 政府による積極的な関与の必要性も主張されるようになりました。 大まかに言うと、前者は「新古典派」、後者は「ケインズ派」と呼ばれています。 では、この両者の主張の違いはどういう見方を反映しているのか。 そして、現実はどうなっているのか。 <経済のフラット化による労働分配率の低下> もう少しだけ学問的な話をさせて頂きます。 上述のように、 「ケインズ派」と「新古典派」では市場メカニズムに対する信頼度合いが 違います。 「ケインズ派」は市場メカニズムに対する信頼度合いが薄いため、 政府の積極的な関与を主張するのに対し(「大きな政府」志向)、 「新古典派」は市場メカニズムに対する信頼度合いが高いため、 政府は極力関与しないことを主張します(「小さな政府」志向)。 繰り返しになりますが、市場メカニズムが機能するということは、 政府が資源の配分・成果物の分配に関与しなくても 完全雇用は自動的に達成されるということです。 完全雇用が達成されるためには、 労働市場の需給がバランスしなければいけません。 当然ですが、人が余れば給料は下がる必要がありますし、 人が足りなければ、給料は上がる必要があります。 そして、この調整速度が労働市場の需給にあわせて変化する必要がある。 これが出来て初めて、市場メカニズムが機能すると言えるのです。 では、実際の世界はどうなのか。 ちょっと前までは、景気が悪くなって人が余っているからといって 簡単に給料って下がらなかったのではないでしょうか。 ということは、景気が悪くなると職がない人が増えるにも関わらず、 職についている人の給料が下がらないために、 新しく人を雇えず、完全雇用が達成されない状態となってしまう。 この「賃金の下方硬直性」のために、市場メカニズムが機能しなくなる という世界が現実的だと考えられてきました。 つまり、「ケインズ派」優勢の時代であったということです。 では、今はどうでしょう。 今日本で失業は問題になっているでしょうか。 たしかに職のない方はおられるでしょうが、 社会問題にはなっていません。 今問題になっているのは失業よりも「賃金」の方ですね。 「年収300万円時代」とも揶揄されるように、格差に拡がりと共に、 「労働分配率」が低下し、給料は平均的には下落傾向にあるという ちょっと今までとは違う現象が起きているように見えます。 この現象は一体何によってもたらされたものなのか。 それが「経済のグローバル化・フラット化」だと考えられるのです。 <グローバルなコスト収斂の動き> 簡単に言うと、日本だけで展開している企業であれば、 基本的に日本人しか雇わないので、そうなると当然給与水準も 日本の物価水準に合わせた額になる。 ところが企業がグローバル化すると、別に日本で日本人を雇う必要は ないわけで、より低コストの国に労働力を求めるのは自然な流れです。 現地の物価水準に合わせた安い給料で、日本で日本人がやっていることと 同じ働きをしてくれるのであれば、企業にとってはそっちのほうが いいに決まっているわけですから。 こういう企業のグローバル化の流れが一般化してくると、 雇われる側としては、これまで競争相手が日本国内の 日本人であったのが一気に拡がり、 世界中の人が競争相手になったために、 その労働に見合う対価も、グローバルに収斂する動きとなっている。 これが「経済のフラット化」である。 例えば、日本を代表する企業である「トヨタ」であっても、 その売上の半分以上は北米で上げており、看板は日本企業であっても もはや純潔な日本企業ではありません。 それはキャノンしかり、松下しかり、ソニーしかりです。 日本はこれまで物価水準が高く、賃金が諸外国に比べて割高であったため、 このグローバルなコスト収斂の動きは、 日本の労働者にとっては、給料が下がるということになる。 特に、代替可能な人数が多い商売に関してはこの動きが顕著になる。 逆に言うと、それが少ない貴重な商売の価値は逆に上がる。 グローバルで見て「価値の選別」が極めてシビアに、 そして瞬時に行われ、最適な状態が形成されていく。 その「瞬時」の部分を実現するのがまさに「IT革命」であり、 これは、市場メカニズムがより機能しやすい状況になったことを意味する。 つまり、「ケインズ派」から「新古典派」の世界に移りつつあるような気がする。 企業がグローバル化し、その規模が大きくなればなるほど、 「国境」を超えた企業の活動を「国境」の枠組みに縛られた「国家」が 制御できるはずもなく、政府の関与の意味がそもそもなくなってしまう。 そうなると、政府の関与を主張する「ケインズ派」は 「財政悪化」の負の側面ばかり目立つようになってしまい、 新しい時代にはなじまなくなっていくようになるのでしょう。 そしてこの流れは、 これまでお上に頼って生きてきた人々の(大抵の日本人はそうですが) 混乱と不満を招くことになるというわけです。 (次回に続く) http://keyboo.at.webry.info/200708/article_11.html ←あなたのお役に立てたらクリックしてください(ご参考) 「経済」をもっと深く知りたい方におすすめの本
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